ほっかブログ

カテゴリー「報告」

混雑の中思ったこと

車を実家に置いてから約一ヶ月と半月が経った。

さすがに車のない生活は不便だ。

今は出勤含め外出する時は、自転車をメインに使っている。近場なら歩く。

まぁ、節電ブームもあるし、時代はエコだから生活に支障が出ない限りは良いと思う。

この暑い中自転車はとても快適とはいえないけど。

ただ、自転車に乗ってる時や歩いている時の方が、何かと神経を使う。

正直、車の方が安心して乗る事ができる。

単に運転に慣れてきたというのもある。

四方を囲まれた安心感というのもある。

だけど、それだけじゃない。

通勤時や買い物などに、往来が常に激しく、最近できた料理店やパチンコ店の影響でさらに混雑に拍車をかけている道をよく通る。

ここは道路外(駐車場)からの出入りが激しい。休みの昼時や夕食時は特に混雑する。

ピーク時には警備員さんがいてくれるので、それほど通行に支障はでない。

ただ、いないときになると道路に合流しようと歩道上、もしくは少し頭を出してタイミングを待っている車が多い。

なかには通行者を察知してくれて停まってくれたり、バックしてくれたりする車もいる。

だけど、たまたま偶然なのかもしれないが、大半が気づいていながら歩行者や自転車を無視しているように感じる。

そのときに無理にで行こうとすれば、接触するかもしれない。

しょうがないから待つにしても、

「だいたいすぐに合流できないのに、なんでわざわざ歩行者や自転車の通行を阻害してまで先を急ごうとするんだろう」

もちろん故意に阻害する人なんていないと思う。気づかなかったていう事もある。

確かに、出来るだけ前に出ておかないと、なかなか合流させてくれないってのもある。

だけど、ちょっと歩道の前で一旦停止して、左右を確認すればいいだけの話。

自動車と自転車の力関係はあきらかだ。

偏った言い方であるが、自動車は大きく力もある。非力な自転車なんかより偉い。そんなことで軽視されているのかもしれない。

自動車免許をとるときに、歩行者や自転車が優先で、自転車も車両である以上は、その他の車両が直進車の進行を妨げてはいけない、といったようなことを学んだと思う。

だからといって、自転車が他車にかまわず進んでいいわけではない。直進車にも前方への注意や予見義務がある。

「ルール」 だから、という優先意識をかざせば事故につながることもある。

実際に事故がおきればお互い様だ。

自動車と自転車の力関係はあきらかだ。

自動車には四方を守られているが、自転車や原付に物理的な守りは無い。

事故になれば痛い思いをするのは大方小さいほうだ。

だからなおさら、自動車は周囲に対して常に配慮して乗らなくてはならない。

そして、自転車、原付も痛い思いをしたくなければ自動車の動きを予見した方がいい。

表現は良くないかもしれないが、自動車運転者にとって、歩行者や自転車、原付はある意味「走る爆弾」だ。

歩行者や自転車の方が過失をおかし、接触したとしても自動車の方が過失の割合が重くなってしまう。

おかしい話だとは思うけど、力関係をみればそれも致し方ないかもしれない。

まぁ、自転車も自転車で平気で信号無視をしたり、歩行者に接触しそうになったり。道路を縦横無尽に走ったり、並んで走ったりと、けっして全ての人がマナー良く走っているわけではない。

歩行者もしかり、自動車、自転車、歩行、移動手段にかかわらず、そういう危なっかしい人はいる。

気をつけているつもりだが、もしかしたら自分もそう見られているかもしれない。

自分は大丈夫と思っていても客観的に見ればそうでないこともある。

このことを忘れないよう、過信に走らないよう、移動時には常に意識したい。

車に乗っているとき、とある大きな交差点を左折しようとハンドルをきった。横断歩道には誰もいない。

左折の中盤ほどにさしかかったとき、横断歩道外から歩行者が前ぶれも無く急に渡り始めた。

すぐにブレーキを踏んだ。歩行者はちょうど歩道の縁石をまたぐ感じで斜めに渡り始めた。

そしたら横断歩道向かい側から、これまた横断歩道無視で自転車で並走しながら交差点をショートカットしてきた女子高生が走ってきた。

ちょうど女子高生達の進路に自分の車が停まっている。

迷惑そうに自分の乗ってる車を避け、なにやらぶつくさ文句を言ってそのまま走っていった。

自分としても落ち度があったかもしれない。歩行者の渡るそぶりを見てあらかじめ、予測することもできたかもしれない。

女子高生がショートカットすることを予測できたかもしれない。

だけど、自転車や歩行者は車は停まってくれるものと思ってないだろうか。

ルールは自分や他者の安全のためにある。渡る意志を周囲に示すという意味でも横断歩道を通らなくては危険だ。

ルールを守る事は当然だけど、ルールだからといって全ての状況に対応できるわけではない。

自転車が自動車に道を譲った方が良い場合もある。自転車が右側走行をした方が安全なこともある。(せざるおえない場合も多々ある。右側を走る場合は押して歩くというのもあるが、それは現実的とは思えない)

臨機応変に判断することが大事だと思う。

ただ、ルール云々ということの前に、「譲り合いの精神」を持つ事が大事。

都会の道は「譲り合い」ではなく「奪い合い」と言われる事もある。奪われる前に奪い取れみたいに。

確かに実際、そうでもしないと前に進めないというのもある。

だからこそ譲り合いの精神が必要なのだ。もちろん余裕も。

車だから偉いとか、自転車だから、歩行者だから、交通弱者だからとかではなく、また車に限った話ではないが、要は、「互いを思いやること」が大事なんだと思う。

別に自分が100%マナー守ってるとか、そういうことではなくて、互いに「どうぞ」とか「ありがとう」が自然に言える、そんな交通社会になるといいと思う。いや、そうしていきたい。

楽しく気持ちよく走りたい。車が好きだからこそ余計にそう思う。

2,577kmの路を往く

勢いと目的意識さえあればどうにかなる。

とにかく南を目指してすすむ。

方向さえ間違ってなければ、目的地には必ず着く事ができるはず。

あとは実行に移すまでの勇気と根気があるかどうか。

勇気も根気も他人と比べればわずかな程度しか持ち合わせていない。そこをカバーするのは勢い。考え悩む時間を与えない工夫をする必要もある。

計画的無計画。以前から決めていたことだけど、実際の行動はあえての無計画。

そんな訳で、とりあえず日本本土最南端まで走ることにしたのだ。

考えさせない為の、“とりあえず”

日本の本土最南端は鹿児島県の佐多岬。

鹿児島なんて今まで想像したこともあまりなかった。情報としては、西郷どんと豚がおいしいイメージと桜島ぐらいしかない。遠い遠い国のように遠い場所に感じていた。

そして後で自己満足に浸り今後の参考のために走行距離を記録しておくことに。出発前は152,972km

計画進路は、音羽蒲郡→東名高速→伊勢湾岸→新名神高速→名神高速→中国自動車道→関門自動車道→九州自動車道→東九州自動車道

自慢ではないが、自分の車にはナビが付いていない。頼れるのは地図と案内標識のみ。ポイントポイントを決めてルートを覚える必要がある。(とはいえ複雑な分岐は皆無でほとんどまっすぐいける)

車は17年落ちの旧型セダン。いろんなところが痛みだしている。タイミングベルトも10万キロ、(5万5千で交換したので15万5千キロで寿命の計算)で交換しなくては切れる危険性がある。自分の体力以上に車が心配。念のためにロードサービスの手配がすぐできるよう準備しておく。それとハイオクというのは痛すぎるところ。

というか要は、ETCが6月で災害復興の費用捻出の為に休日1,000円が使えなくなるから今のうちにチャレンジしておきたい、というのが強かったのかな。旅行に行くというよりは冒険してみたいというモチベーションで。

まずは車の腹ごしらえ、市内の行きつけSAでハイオク投入。158円/ℓ、39.15ℓで6,186円。いきなりイタイタしい出費。ボロのくせによう食べる。

出発は5月1日、午前10時45分19秒(遠出するとは思えない程、遅い…前日の仙台がたたって大きく寝坊。でもいたって冷静)

前半戦は写真が少ない(運転に必死だった)最初の1枚は出発から約6時間後の中国自動車道のとあるSAでの1枚。

5月1日15時48分21秒。バックミラーをふと見ると、前日に見たような災害派遣の幕のある自衛隊の車両。軽大型輸送車の他、重機類を搭載した車両が列をつくっていた。こんな遠いところから被災地に向かうのだろうか。自衛隊がほぼ総動員で救援活動にあたっているのを肌で感じたようだった。その後も複数の自衛隊の車列に遭遇した。

5月1日、22時37分23秒、出発から約12時間。本島と九州とを隔てる関門海峡を結ぶ関門橋に到着。対岸にはそれぞれSAがあり、橋を眺めながら食事を摂ることができる。写真は壇ノ浦SA。大した距離でも期間でもないが、本土を離れるのは何かと感慨深いものがある。向こうに渡ってしまえばもう元の場所には戻れない…。 橋にはそんなイメージがある。

気分的なものかもしれない。九州の空気は本土とは違う。何かさっぱりとしているような。南国の雰囲気。

関門海峡を渡ってから九州自動車のとあるSAで車中泊。時刻は11時をまわっていた。SA名は忘れた。とても広いSAでフードコート、おみやげなど広大なスペースを存分に使ってゆったりと食事や買い物ができる。駐車場も広大で辺りを見渡せば自分と同じく車中泊をしてる車でごった返していた。県外ナンバーの長距離トラックをはじめ、多くの車がシートで窓を覆った車で過ごし、あたりに聞こえるのは高速を走る車のスキール音とわずかな話し声だけで奇妙な静寂に包まれているようだった。そして体のコンディションは、車をこんなに運転したのは初めてだったというのもあり、ハンドルを握っていた腕は棒のようになっていた。カーブの度に痛みが走る。楽しいドライブが加圧トレーニングのようになっていた。

最初はセダンで寝るのは辛いのかと思った。クッションを上手く使って簡易ベッドを作りできるだけ安眠できるように工夫した。いざ寝てみると意外や意外、楽に寝れる。起きれば疲れもちゃんととれている。だけどこういうときはミニバンかワゴンが良い。絶対に。縦長ボディの軽でも良い!

日は明けて5月2日、またしても寝坊した。せまくて窮屈で寒い車内でも以外と寝れてしまうのだ。夜3時に起き、深夜の空いた高速を120km超※で飛ばして夜が明ける前に鹿児島入りをしようと画策していたのに失敗してしまった。自分自身の甘さがもろに出てしまった。まぁ睡眠不足で危険運転するよりはるかにマシだが。※120km超というのは冗談です。気分的には、というレベル。

結局2日目は6時頃起床。朝食を食べようとSA施設内に入るも朝食的なメニューがない。パン屋さんは7時から。あるのは喜多方ラーメンと中華とたこ焼きぐらい。朝から重すぎる。だけど喜多方ラーメンを食べることに。数分後腹を下したのは言うまでもない。。。

5月2日6時57分57秒福岡過ぎたあたりのSAに到着。(基本SA名覚えていません)

降りたら清々しすぎる空気に満ちていて、喜多方ラーメンの味を忘れさせるほどさっぱりしていた。

南九州に入り、加治木JCで分岐後は片側1車線に。その辺りからお腹の調子が悪くなり始めていた。

位置を確認するためだけに寄った途中のSAについた瞬間、雷がなった。

そのSAのトイレ横におもしろい恵比寿様が鎮座していた。

ハンドルを握り、シートベルトをし、タイヤに上に立った恵比寿様。道中の安全祈願だろうか。この分かりやすさと表情にひかれ、ピンチを脱した後すぐに車に戻りカメラを持ってきてその場でパシャリ。5月2日8時24分46秒の1枚。

東九州自動車道をおりて市道71号線を走る。長野県と比べてもかなりの田舎具合。あたりには山、山、山… そして開けた空が見えるばかり。

緩やかな坂道を登り、周囲が見渡せる開けた場所を発見。車を停め、ファインダーをのぞく。日本とは思えない程に見渡す限りの大自然。

停めた場所は断崖絶壁。少しでもはみ出せば奈落の底に落とされる。

近くには南国特有の花が咲いている。ブーゲンビリアというのか。花の名前はよく分からない。背景との対比ですごくキレイに見えた。

その場所から車で数分のところにおおすみ弥五郎伝説の里という道の駅がある。到着は9時半を過ぎたあたり。おおすみ弥五郎が誰かは分からない。そこには巨大な像がある。「弥五郎どん」という表記。

その施設には銭湯も併設されており、風呂に入りたくてたまらない状態だったので速攻で銭湯に入ることに。朝早く入ったというのもあって利用客は少なく快適に過ごすことができた。

風呂に入り、疲れを癒し、張り切って南端佐多岬を目指す事に。

国道269号線南に進むと目的地付近まで行ける。

のだが、知らぬ間に269号線から脱線した。付いたのはとある商店街。恐らく鹿屋市のメインストリートあたり。到着は午前11時過ぎぐらい。

商店街は寂れている。GWというのに活気がない。近くに大きなデパートやらドラッグストアがありそこに客が行ってしまうのか。だけど商店街の雰囲気は何か良い。郷愁を感じさせるような。

269号線を探すためウロウロしていていると面白げな案内標識を発見。この先右折2km鹿屋航空基地資料館。とりあえず行ってみる事に。

鹿屋航空基地資料館は海上自衛隊鹿屋航空基地に併設された資料館で嬉しいことに入場無料。資料館周辺にはかつて活躍した海上自衛隊の対潜哨戒機やヘリコプター、旧日本海軍2式飛行艇など数多く展示されている。中でも2式飛行艇は世界で唯一現存する貴重な機体。

下は旧日本海軍の2式飛行艇。戦後米軍に接収されすみずみまでテストされその後日本に返還された機体。性能は当時世界一を誇ったという。

資料館内部には旧軍関係の資料や引き上げられた兵器、海上自衛隊の歴史などのパネルなどが展示されている。

資料館の中心部にはあの有名な“零戦”こと零式艦上戦闘機が復元展示されている。

この機体は海底から引き上げられた残骸を元に現代の技術で復元した実機。

半世紀以上前にこれに乗り帰らぬ人となった操縦士のことを思うといたたまれない気持ちになる。

九州は米軍の本土上陸の最前線ということもあり、多くの特攻基地があり多くの操縦士が出撃し命をおとした。

もしかしらたこの零戦も特攻用に使った機体なのかもしれない。

資料館には特攻隊操縦士達の遺書も展示されている。

下は対潜哨戒機のコックピット。実機から切り取られ一般に公開されている。座席は非常にせまく、シートも固いので、座り心地は良くない。

そして資料館を後にし、佐多岬を目指し269号線に復帰し南を目指す。

13時過ぎごろになり、ようやく佐多岬の近くまでやってきた。ここまでで出発から26時間以上経っている。

ゴールまでもう少し、道草を食ってしまったがあと一息だ。

269号から佐多街道を進む。

佐多街道からは有料道路になるが、料金所が営業している様子はない。

その代わり道路を少し進んだところに、ほったて小屋のようなプレハブがある。そこで料金を支払うようだ。

いくら払ったかは覚えていない。たしか200円〜400円ぐらいだった。

この辺りは南国の雰囲気にあふれ、南の国特有の木が生えていたり、標高の低い山々が連ねるなど南国ムード満天だ。

急で険しい登り道を行くと観光客用駐車場に着く。そこからは徒歩で行くようだ。

まずは涼しい風が吹くトンネルに入る。短いトンネルだ。実際は写真より明るい。

トンネルを抜けるとそこはまさにジャングル。南国の木々であふれた南の島のジャングルだ。

その中に純和風の神社がある。非常にミスマッチな光景でおもしろい。御崎神社という神社。鮮血のように紅い鳥居が印象的。

神社を抜けると遺跡のような場所に出る。ここはかつてレストランだった遺構。海の爽快さとは裏腹に不気味で神秘的な雰囲気に包まれている。

そこからさらに登るとだんだん最南端の佐多岬の姿が見えてくる。そして最南端を示す案内板。

そこから既に岬は見える。だが、さらに上には展望台がある。上から眺めてみる事に。

5月2日14時39分33秒日本最南端到着。出発してから27時間54分で日本最南端に到着した。

ここまでの走行数は154,205km。単純計算で1,233kmを走行した事になり、時間辺り44km走行したことになる。(散策の時間全て含めて)

ここからは第二の目的地、桜島を目指す。しかし徐々に雲行きが怪しくなってきた。

途中道草をしながら269号線を進む。途中のノスタルジーな場所で撮影。菅原神社というらしい。学問の神様だろうか。

進むこと1時間程度、桜島がうっすら見えてきた。海上には多くの漁船が浮かんでいる。

桜島は想像以上に大きい。島かと思ったら、陸続きの半島らしい。低く幅のある特徴ある火山だ。桜島を走るとあたりに火山岩が散らばっている。荒々しい鬼の棲む剣山のような感じの山。

過去の噴火で埋もれた鳥居もある。3mもの火山灰が積もったのだそう。

桜島にある火山岩に囲まれた茶色いファミリーマート。異空間です。

そんなわけで、“とりあえず”目的を達成したので、はるばる来た道を引き返すことに。まだ見たいところ、行きたいところはかなりあるけど、予定までに帰れなくなるので、急いで帰る事にした。

5月2日19時9分57秒発。そこから休憩や食事を挟みながら一路北東へ。途中名神高速長岡付近から小牧JCまでひどい渋滞にあう。長岡から小牧までで4時間もかかってしまった。結局、帰れたのは翌3日の19時17分28秒。ほぼ24時間かけて帰ってきたのだ。全身に強烈な疲労を覚えたのだが、疲れすぎてむしろ元気になっていた。せわしなくトンボ帰りをした感じだったけど、地図の見方だとか、日本の面積についての見方が変わった。実際に走ってみることで直接日本の大きさ、長さを感じることができたようだった。

ちなみに蒲郡→南九州まで1,000円でいけると思いきや、なにかで加算されて2,100円になっていた。帰りの南九州→長野県(実家)も2,100円也。

総走行距離155,549km タイミングベルトの寿命を超えている。。。この3日の走行距離は2,577kmにまでのぼっていた。帰宅後、数時間は運転しすぎたためかず〜と車に乗ってるような感覚に襲われていた。当分ロングドライブは控える。ちなみにガソリン代は33,358円。

お金と時間をかなり贅沢に使ったけど、得るものが多く、金額以上のことを得た気がする。具体的にこれというのは無いけど、何となく+になった気がする。

“とりあえず”も“計画的無計画”も悪くない。

4/30 東北地方太平洋沖地震 仙台 宮城野区

仙台宮城野区 津波に飲み込まれ大きな被害を被った地域の一つ。4/30の時点では道路上の障害物はほとんど取り除かれていて、大型トラックや重機が駆り出され、がれき類を満載し集積場に向かってせわしく走っている。ナンバーを見ると、地元宮城だけでなく新潟や山形等他県からの応援車両も混じって作業にあたっていた。荒浜の海岸公園を臨時の集積場としているようで、多くの車両が行き来していた。

道路は一般の自動車が走れる程、片付けられているが、周囲には被災車両、屋根瓦、家具等様々なものが散乱していた。辺りを一目で見ればゴミが散乱しているように見えるが、一つ一つをよく見れば、それはゴミではなくつい最近まで人が使っていた“愛用品”であって、なにかの記念トロフィーやタンスや机などの家具であったりと生活がみえるような誰かの私財ばかり。大破した自動車もよく見る放置車両とは違って損傷箇所以外はきれいな状態で残っている。見た限りではほとんどが現行車ばかり。

被災したオールドポルシェ。塗装がきれいな状態で残っているフェラーリ。被災車両は全てナンバーを外されていた。

誰かの愛読書だったかもしれないくしゃくしゃになった文庫本。

辺りは油のような、ゴムのような異様な臭気に満ち、天候のせいかよけい不気味に感じた。

がれきを積み降ろし、再び現場に戻る大型トラック。

撮影しているうちに妙なものを感じてきた。被災して壊れたモノや光景を撮影するのに抵抗を感じてきたのと、現場では多くの人ががれき除去、復興に向けて尽力しているというのにノンキに撮影をしている自分は何なんだろう、と思い始めていた。壊れたものの中に生活があったと考えるといたたまれない気持ちになる。

当初、1泊2日で2日目に気仙沼市の撮影に行く予定だったのだけど、本日中に帰る事にした。せっかく来たのだから観光でもしていけば良かったのだけど、(復興にもつながる)気分が滅入り気味だったので、本日中に帰る事にした。新幹線代を考えれば、すごくもったいないことだけど。。。

何より写真を撮る事で被災者の方々の気持ちをさかなでるようなことは避けたい。自分の家がもし災害で壊れ、がれきの山になって、それを誰かに撮られたらどんな気持ちになるだろうか。

そもそもここに来ようと思った理由は、興味本位というのは言い方が悪いけど、「一度見ておくべき」と考えたから。

実際に行って見てみるとはテレビや新聞で見るよりも胸に刺さるものがあって、現実に起こった事だというのを認識させられた。

それまでは、大きな被害をもたらした大災害が発生したという実感があまりなかった。理解はしていたけど。上:信号がストップした交差点

仙台駅周辺は賑わいを取り戻しているようだった。今日は楽天の試合があったためか、ユニフォーム姿のファンを多く見かけた。

早い復興を祈るとともに、今後も間接的ではあるけど、義援金を振り込む、被災地産のものを積極的に買う等、支援をしていきたいと思う。

Radioheadの曲で○番目に好きな曲

Radiohead 「Let down」

曲の後半のドラマチックな盛り上がり方が好きです。PVが見つからないのが残念。Radioheadの曲の中では1番聞いてるかも。iTunes再生回数はTOP!(たかだか97回ですが… ※一度HDを交換したため)聴いているとリッケンバッカーを買いたくなる衝動にかられる。こんなにきらびやかな音が出るギターは他にはない! …?

「Creap」のアコースティックバージョンも好きですね。癒されます。アニメがまたいい感じです。



“ライフライン”を求めてさまよう日曜日

土曜日に名古屋から帰った際、携帯電話を電車の中に忘れてしまった。

それに気がついたのが、その日の就寝前。いつものようにアラームのセットをしようと、いつもの“場所”に手をのばしてみると、何もない。「あれっ??」

布団の下か、カバンの中か、ソファの下かと色々探したがない。ありえないとは思いつつも冷蔵庫の中さえ見たけどない。

「今日はもう遅いし、明日探そう」

自分がのった電車はJR東海道本線 金山17:09発終点豊橋の鈍行。よって“それ”は豊橋で預かってもらっている可能性が高い。

電話連絡をしようと、電話番号を検索したが、名鉄豊橋駅の番号しかのってない。どうもJR東海は各駅の番号を公開していないようだ。

「ならば、直接行くとするか」

翌日、携帯のない不安感で目が覚めるとすぐに豊橋駅に向かった。早起きしたというのに全く清々しくない。駅に到着して親切そうな駅員さんに訪ねてみると、「確認しますので、お待ち下さい」

待っている時間、多くのことが脳裏をよぎる。

「これで見つかれば一安心だな、いや、見つからなかったらバックアップをとっていない連絡先はどうする?携帯は買い直さなくてはいけないのか?そもそも心ない人に拾われてしまったら恐いな。どうか見つかってくれ」

5分〜10分くらいして駅員さんに呼ばれた。側から見ていたけど駅員さんの仕事は想像以上に忙しそうだった。息つく間も無い程に。

「ちょっと、そのような忘れ物は無かったですね。他に心当たりはありませんか?一番最後に使ったのは電車内でした?…」

ない… 、最悪だ…

ショックで駅員さんの話も上の空で聞いていた。

「どうしよう、どうされよう、どうしてくれよう」

一番最後に携帯を触ったのは、金山駅でのってからボックスシートに座りiPodをいじりながらポケットにしまった時だ。その後、ついついうたた寝をしてしまい、その際に携帯がポケットから落ちたのにも気づかずに三河塩津で降りてしまった。しかし何故終着駅にないのだ?今までも弁当箱、メガネなど2,3回電車に忘れ物をしていたが、それらは終着駅に届いていた。そして着払いで送ってもらっていた。でも終着駅に届いていない。

ということは、どこかの親切な人が豊橋に着く前に三河塩津から豊橋までの駅員さんに渡しているのでは?

そうとなれば各駅に確認せずにはいられない。だが番号が分からない。     …直接行くしかないか…。

しかしこれらの駅はほとんど通過駅であるため一旦降りてしまうとそこから20~30分程待たなくてはならない。そんな時間はないので車で行く事に。

蒲郡、三河三谷、三河大塚、愛知御津、西小坂井、 全て周ったが、返答は全て同じだった。

「まいったな…持ってかれてしまったのか、それか意外に実は家の中にあるとか?」

車の中で疑心暗鬼に思索をめぐらしていると、メモ書きに目が留まった。それは一応メモしておいたテレフォンセンターの番号だ。

公衆電話に硬貨を入れダイアルを押し、センターにつながった。

「あ、あの電車の中に携帯電話を忘れてしまったのですが…」

ことのいきさつを細かく話した。すると、

「確認しますので、少々お待ちください」

公衆電話から電話していたので残り残量が気になった。携帯の場合電池の残量は気になっても通話時間はさほど気にしないから妙な違和感があった。そして、念のため、100円を投入、その後につなげた。

保留が解け、オペレーターにつながった。

「その携帯電話でしたら、大垣駅で預かっております」

あまりにもあっさり言われたので、「うそ〜!他の携帯と間違えてないのか!?いやでもピンクのストラップと番号だとか細かく説明したから多分それだろうな、何はともあれ行くしかない」

そして、オペレーターに1時間後に大垣駅に向かう旨を伝えた。送ってもらうという方法もあったが、携帯というある意味ライフライン的なものだったの1時間、1分でも早くほしい。これが他のものだったら送ってもらっていたのだろうが。

大垣は名古屋よりちょっと上ぐらいにしか考えていなかったが、尾張を超え、岐阜を超えた先にあるとは知らなかった。完全な小旅行である。

蒲郡→大垣終点の特別快速にのった。名前からしてめちゃくちゃ速そうだ。特急の次に速いのか?だが、この日はまれに見る降雪、電車が安全点検の為に止まる事がしばしあった。

車窓から見る景色はあたり一面銀世界。ここは長野か新潟ですか?ぐらいに感じた。車内は閑散として、名古屋駅を超えてからは自分以外に2,3人しかいなかった。そして大垣に近づくにつれて人は減り、しまいには貸し切りとなった。この景色、この静けさ、聞こえるのは、レールのつなぎ目による、ガタンゴトン、ガタンゴトン…だけである。

iPodを使用せずとも、そこにはRadioheadが流れていたような気がする。それだけ異質な世界。

岐阜を超え、大垣が近づいてきた。辺りは電灯もまばらな秘境のような静けさ。理由はなくとも感傷的になりそうだ。

駅が近づく、アナウンス「〜…お降りのお客様は、お忘れ物などなさいませんよう、お気を付けください…〜」何でもないアナウンスだけど何となく意味深に聞こえた。(自分に言っているような)

大垣駅に着く。この頃には不安は安心に変わっていた。なんとなく絶対にある、と確信があった。(もしかしたら、違う携帯ではないかという不安もあった)

そして駅員さんに「携帯電話を預かって頂いているそうなのですが…」

あった…

オレンジ色のボロいGショック携帯

案外手元に返ってくると、実感がなくて昨日までの不安が夢のように思えてきた。

ここで気づかされたのが、

「失って初めてそのものの価値を知る」

大げさかも分からないけど、日常に当然あるものはそのありがたみを忘れてしまうけど、ひとたびそれを失ってしまえばそれに気づく事が出来る。今回の携帯の一件でそんなことを感じた。「ありがたい、有り難い」の意味が少しだけ分かった日曜の午後となった。

ちなみに蒲郡ー大垣間で大雪のため踏切点検での停車が多かったのもあり往復4時間程度かかった。蒲郡駅着後、車を駅に停めてあるため、あの大雪のなか車で走らなくてはならない。スタッドレスを装着しているとはいえ、雪道では軟弱なFR車。アクセルの踏み量を間違えればお尻をフリフリで、少しスリルがありましたとさ。あとスタッドレスを履いていると何故か他の車に対して優越感に浸っていたような。「この辺でスタッドレスを履いた車は自分しかいない」という勝手な思い込みで。ようは松本ナンバーの優越感?である。

「だてに松本ナンバーやってないよ」と




長くなりましたが、一言で言えば、電車内の忘れ物には気をつける。忘れたら即センターへ問い合わせをするということです。


今日の景色、いつもより少し時間をずらして撮りました。

朝活と3年日誌

就活、婚活……. 、何でもかんでも○活にするんじゃない!  、と言ってるそばからこんなものを買ってしまった。

「朝活手帳2011年版」「2011-2013の3年卓上日誌」

最近朝早く起きて、写真を撮りに辺りを徘徊することが、密かなマイブームになった。かれこれ一週間程続いたが、やってみると朝6時に起きるのもそんなに辛くない。むしろ早くから活動を始めるので、気持ちに余裕が出て一日をより有意義に過ごせることに気がついた。

そんな時に精文館で発見したこの手帳。見た瞬間、

「自分にうってつけじゃないか!」

と即購入を決めた。表紙のキャッチに

「早起きすれば、仕事が変わる、人生が変わる!」と、

何を大げさな!と思ってはいけない。実際そうだと思う。

有名な経営者は早起きの人が多い。4時、5時頃起きている人もいるそうだ。さすがに自分は4、5時に起きる事はまだできない。(一時期4時半起きに挑戦したが、一週間後にあまりに強烈な眠気のため挫折した。それと早起きすることが目標になってしまっていた)

そして6時に起き、出勤までの2時間を写真、仕事の予備時間として有効に活用しようと決めた。この朝活手帳はそんな自分の強い味方として早起きをバックアップしてくれるだろう。あくまでも“ツール”であるが。

そして隣のブラウン色の高橋手帳。これは2011年-2013年までのスケジュールを並列的に管理できる優れものだ。このての手帳はけっこう種類があって3、5、10年などあり、中長期的にスケジュールを管理できる協力なツールである。1年もののダイアリーではその年しか分からないが、これなら昨年、一昨年と今年を比較しながらスケジュールを組める。温故知新ではないが、今後を考える上で過去を現在とともに管理できるこの手帳は大変有用だ。

朝4時〜9時までのスケジュールを書き込む“朝専用”手帳である。


年別に並列的に管理できる優れもの。来年、再来年の今日は何をしているのだろう?

ワクワク感

今日は母校の卒業制作展を見学に名古屋へ。会場は愛知芸術文化センター。おおまかに展示はグラフィックデザイン科(視覚伝達)、プロダクトデザイン科(環境空間・立体物)に分かれ学生の力作が並ぶ。展示作品はそれぞれ個性が光り、斬新である。見ていて非常におもしろい。自分は社会人になって2年になるかならないかであるのだが、気づかないうちにデザイン(商業デザイン)はこうであるべきだ!みたいに考えていたようで、学生の作品にあるような柔軟さにハッとさせられた。実現性、ということから考えるとなかなか難しいかもしれないが、考え方、発想、喚起という点では素晴らしいと思う。明日まで展示されているので興味のある方を是非見学してみて下さい。

下はパネルの制作協力をした友人の作品。机に座椅子を収納することができるのだそう。

見学していると自分の卒業制作の時にグラフィックデザイン科に所属していたのにかかわらずエレキギターを作ってしまったというアナーキーな出来事を思い出した。後悔先に立たずであるが、もっとグラフィック性に重きをおいた作品を作れば良かった。ギターを作るにしても5本くらい作れば良かった… 。やり直せるならやりなおしたい思いである。このはがゆさをおそらくあと10年は引きずると思う。

帰りに栄の街にウインドウショッピング。自分は趣味が偏っているので、名古屋に行っても楽器屋さんかカメラ屋さんかたまにapple storeに出没するくらいである。あ、意外に雑貨屋さんも行くか。

そして地下鉄で帰ろうと栄の地下街を歩いていると、眼光のするどい青い“ヤツ”がまるで待ち伏せをしていたかのようにそこにいた。

「NISSAN GT-R」

ヤツは駅を行き交う多くの人々の視線を奪っていた。そしてひたすら手脂をつけられていた。ワックスのかわりにラードを塗ってしまったかのようだ。

GT-Rを間近で見るのはこれが初めて。近くで見ると迫力満点でスペック寸法よりも大きく感じた。(室内というのもあるが)心ときめかせながら気づいたら手がドアノブにのびていた。

「ガチャ」 … 「バタン」

なんという重厚なドアだ。日頃プロボックスを運転しているせいかよりそう感じた。銃撃されても大丈夫そうなくらいな重厚さである。

中に座ると、非常に狭い。ハンドルがすぐ目の前に迫っている。(調整すれば良いか)しかし雰囲気は運転席というよりはコックピット。非常にワクワクする夢の空間だ。まるでガンダムのような戦闘用ロボットのコックピットに座っているよう。これはさすがにGT5だけでは分からない。

出来れば530馬力のエンジン音を聞いてみたいものだ。あ、写真撮り忘れた。大口径4本出しマフラーの迫力は一見の価値あり!

GT-Rのこの「ワクワク感」

最近の車に一番かけているものだと思う。最近はミニバンが圧倒的多数を占め、さらにはエコカーの急激な普及、若者の車離れなどクルマというよりは「移動するための道具」(間違っては無いけど)、なんだか電化製品のような車が増えてきたような。そんな風潮の中で、こういったワクワクはすごく大事だ。

話は戻るが、このワクワク感が学生の作品にもあったような。GT-Rとは違うワクワク感であるが、何か未来を見据えたような、希望を感じるような。大げさな表現かもしれないが、胸躍るものがそこにはあった。



「ワクワクを提供するサービス」

こう考えれば広い意味でデザイン会社も自動車会社も映画制作会社、他サービス業全般も同じなのでは。ただの有用な道具を提供することだけならなんともむなしいものだ。車にしても何でも、どこかでワクワク感を追求する工夫をしてもらいたい。利益を追求することだけが仕事ではないと思う。ここで改めてデザインや仕事の根本について考えてみたいと思う。

極限まで絞り落とし本質が露になるようなシンプルさ、機能を最大限に積み込みドラえもんのポケットのような便利さ、

こういったこともワクワクの一つなのかもしれない。

ポストカード出来ました!

かわしんビジネス交流会2010にて、蒲郡の風景をまとめたポストカードを配布させて頂きました。

14種各300枚ずつ印刷しました。マットな質感です。

反応はなかなか良く、喜んでいただくとともに蒲郡のPR(もちろん自社も)も出来たと思います。

次は豊川シリーズを撮りたいと思います!

全配布物はポストカード(蒲郡風景、ミデコキャラ(daiscoさん作))、クイズメモ、三河弁メモ、豆本などです。※詳細はミデコサイトにのっていますので、そちらを参照してください。