静
Posted by sorairo on : 2011.10.10. 20:12:06
Posted by sorairo on : 2011.09.21. 22:28:57
カテゴリー : 8-16mm|D5000|夕方 夕刻|対比|海と空 コメント(0)
タグ : ガマゴーリ
Posted by sorairo on : 2011.07.21. 07:36:48
カテゴリー : 35mm F1.8|D5000|【眠りかけた街、蒲郡】|光|夕方 夕刻|夜の蒲郡|時|街の景色 コメント(0)
Posted by sorairo on : 2011.07.15. 23:12:00
カテゴリー : 35mm F1.8|D5000|夕方 夕刻|夜の蒲郡|夜空 夜景|暗い気持ち ネガティブ|海と空|無機質|視点 コメント(0)
Posted by sorairo on : 2011.07.09. 23:12:43
カテゴリー : 8-16mm|D5000|夕方 夕刻|山と空|視点|青空 コメント(0)
タグ : 巻積雲
Posted by sorairo on : 2011.05.05. 21:55:44
カテゴリー : アサヒ|ソライロ|フェチ|写真と言葉|報告|夕方 夕刻|夜空 夜景|山と空|旅|朝日|海と空|船 舟|色彩|花 華|街の景色|視点|車 自動車|長秒露光|青空 コメント(2)
勢いと目的意識さえあればどうにかなる。
とにかく南を目指してすすむ。
方向さえ間違ってなければ、目的地には必ず着く事ができるはず。
あとは実行に移すまでの勇気と根気があるかどうか。
勇気も根気も他人と比べればわずかな程度しか持ち合わせていない。そこをカバーするのは勢い。考え悩む時間を与えない工夫をする必要もある。
計画的無計画。以前から決めていたことだけど、実際の行動はあえての無計画。
そんな訳で、とりあえず日本本土最南端まで走ることにしたのだ。
考えさせない為の、“とりあえず”
日本の本土最南端は鹿児島県の佐多岬。
鹿児島なんて今まで想像したこともあまりなかった。情報としては、西郷どんと豚がおいしいイメージと桜島ぐらいしかない。遠い遠い国のように遠い場所に感じていた。
そして後で自己満足に浸り今後の参考のために走行距離を記録しておくことに。出発前は152,972km
計画進路は、音羽蒲郡→東名高速→伊勢湾岸→新名神高速→名神高速→中国自動車道→関門自動車道→九州自動車道→東九州自動車道
自慢ではないが、自分の車にはナビが付いていない。頼れるのは地図と案内標識のみ。ポイントポイントを決めてルートを覚える必要がある。(とはいえ複雑な分岐は皆無でほとんどまっすぐいける)
車は17年落ちの旧型セダン。いろんなところが痛みだしている。タイミングベルトも10万キロ、(5万5千で交換したので15万5千キロで寿命の計算)で交換しなくては切れる危険性がある。自分の体力以上に車が心配。念のためにロードサービスの手配がすぐできるよう準備しておく。それとハイオクというのは痛すぎるところ。
というか要は、ETCが6月で災害復興の費用捻出の為に休日1,000円が使えなくなるから今のうちにチャレンジしておきたい、というのが強かったのかな。旅行に行くというよりは冒険してみたいというモチベーションで。
まずは車の腹ごしらえ、市内の行きつけSAでハイオク投入。158円/ℓ、39.15ℓで6,186円。いきなりイタイタしい出費。ボロのくせによう食べる。
出発は5月1日、午前10時45分19秒(遠出するとは思えない程、遅い…前日の仙台がたたって大きく寝坊。でもいたって冷静)
前半戦は写真が少ない(運転に必死だった)最初の1枚は出発から約6時間後の中国自動車道のとあるSAでの1枚。
5月1日15時48分21秒。バックミラーをふと見ると、前日に見たような災害派遣の幕のある自衛隊の車両。軽大型輸送車の他、重機類を搭載した車両が列をつくっていた。こんな遠いところから被災地に向かうのだろうか。自衛隊がほぼ総動員で救援活動にあたっているのを肌で感じたようだった。その後も複数の自衛隊の車列に遭遇した。
5月1日、22時37分23秒、出発から約12時間。本島と九州とを隔てる関門海峡を結ぶ関門橋に到着。対岸にはそれぞれSAがあり、橋を眺めながら食事を摂ることができる。写真は壇ノ浦SA。大した距離でも期間でもないが、本土を離れるのは何かと感慨深いものがある。向こうに渡ってしまえばもう元の場所には戻れない…。 橋にはそんなイメージがある。
気分的なものかもしれない。九州の空気は本土とは違う。何かさっぱりとしているような。南国の雰囲気。
関門海峡を渡ってから九州自動車のとあるSAで車中泊。時刻は11時をまわっていた。SA名は忘れた。とても広いSAでフードコート、おみやげなど広大なスペースを存分に使ってゆったりと食事や買い物ができる。駐車場も広大で辺りを見渡せば自分と同じく車中泊をしてる車でごった返していた。県外ナンバーの長距離トラックをはじめ、多くの車がシートで窓を覆った車で過ごし、あたりに聞こえるのは高速を走る車のスキール音とわずかな話し声だけで奇妙な静寂に包まれているようだった。そして体のコンディションは、車をこんなに運転したのは初めてだったというのもあり、ハンドルを握っていた腕は棒のようになっていた。カーブの度に痛みが走る。楽しいドライブが加圧トレーニングのようになっていた。
最初はセダンで寝るのは辛いのかと思った。クッションを上手く使って簡易ベッドを作りできるだけ安眠できるように工夫した。いざ寝てみると意外や意外、楽に寝れる。起きれば疲れもちゃんととれている。だけどこういうときはミニバンかワゴンが良い。絶対に。縦長ボディの軽でも良い!
日は明けて5月2日、またしても寝坊した。せまくて窮屈で寒い車内でも以外と寝れてしまうのだ。夜3時に起き、深夜の空いた高速を120km超※で飛ばして夜が明ける前に鹿児島入りをしようと画策していたのに失敗してしまった。自分自身の甘さがもろに出てしまった。まぁ睡眠不足で危険運転するよりはるかにマシだが。※120km超というのは冗談です。気分的には、というレベル。
結局2日目は6時頃起床。朝食を食べようとSA施設内に入るも朝食的なメニューがない。パン屋さんは7時から。あるのは喜多方ラーメンと中華とたこ焼きぐらい。朝から重すぎる。だけど喜多方ラーメンを食べることに。数分後腹を下したのは言うまでもない。。。
5月2日6時57分57秒福岡過ぎたあたりのSAに到着。(基本SA名覚えていません)
降りたら清々しすぎる空気に満ちていて、喜多方ラーメンの味を忘れさせるほどさっぱりしていた。
南九州に入り、加治木JCで分岐後は片側1車線に。その辺りからお腹の調子が悪くなり始めていた。
位置を確認するためだけに寄った途中のSAについた瞬間、雷がなった。
そのSAのトイレ横におもしろい恵比寿様が鎮座していた。
ハンドルを握り、シートベルトをし、タイヤに上に立った恵比寿様。道中の安全祈願だろうか。この分かりやすさと表情にひかれ、ピンチを脱した後すぐに車に戻りカメラを持ってきてその場でパシャリ。5月2日8時24分46秒の1枚。
東九州自動車道をおりて市道71号線を走る。長野県と比べてもかなりの田舎具合。あたりには山、山、山… そして開けた空が見えるばかり。
緩やかな坂道を登り、周囲が見渡せる開けた場所を発見。車を停め、ファインダーをのぞく。日本とは思えない程に見渡す限りの大自然。
停めた場所は断崖絶壁。少しでもはみ出せば奈落の底に落とされる。
近くには南国特有の花が咲いている。ブーゲンビリアというのか。花の名前はよく分からない。背景との対比ですごくキレイに見えた。
その場所から車で数分のところにおおすみ弥五郎伝説の里という道の駅がある。到着は9時半を過ぎたあたり。おおすみ弥五郎が誰かは分からない。そこには巨大な像がある。「弥五郎どん」という表記。
その施設には銭湯も併設されており、風呂に入りたくてたまらない状態だったので速攻で銭湯に入ることに。朝早く入ったというのもあって利用客は少なく快適に過ごすことができた。
風呂に入り、疲れを癒し、張り切って南端佐多岬を目指す事に。
国道269号線南に進むと目的地付近まで行ける。
のだが、知らぬ間に269号線から脱線した。付いたのはとある商店街。恐らく鹿屋市のメインストリートあたり。到着は午前11時過ぎぐらい。
商店街は寂れている。GWというのに活気がない。近くに大きなデパートやらドラッグストアがありそこに客が行ってしまうのか。だけど商店街の雰囲気は何か良い。郷愁を感じさせるような。
269号線を探すためウロウロしていていると面白げな案内標識を発見。この先右折2km鹿屋航空基地資料館。とりあえず行ってみる事に。
鹿屋航空基地資料館は海上自衛隊鹿屋航空基地に併設された資料館で嬉しいことに入場無料。資料館周辺にはかつて活躍した海上自衛隊の対潜哨戒機やヘリコプター、旧日本海軍2式飛行艇など数多く展示されている。中でも2式飛行艇は世界で唯一現存する貴重な機体。
下は旧日本海軍の2式飛行艇。戦後米軍に接収されすみずみまでテストされその後日本に返還された機体。性能は当時世界一を誇ったという。
資料館内部には旧軍関係の資料や引き上げられた兵器、海上自衛隊の歴史などのパネルなどが展示されている。
資料館の中心部にはあの有名な“零戦”こと零式艦上戦闘機が復元展示されている。
この機体は海底から引き上げられた残骸を元に現代の技術で復元した実機。
半世紀以上前にこれに乗り帰らぬ人となった操縦士のことを思うといたたまれない気持ちになる。
九州は米軍の本土上陸の最前線ということもあり、多くの特攻基地があり多くの操縦士が出撃し命をおとした。
もしかしらたこの零戦も特攻用に使った機体なのかもしれない。
資料館には特攻隊操縦士達の遺書も展示されている。
下は対潜哨戒機のコックピット。実機から切り取られ一般に公開されている。座席は非常にせまく、シートも固いので、座り心地は良くない。
そして資料館を後にし、佐多岬を目指し269号線に復帰し南を目指す。
13時過ぎごろになり、ようやく佐多岬の近くまでやってきた。ここまでで出発から26時間以上経っている。
ゴールまでもう少し、道草を食ってしまったがあと一息だ。
269号から佐多街道を進む。
佐多街道からは有料道路になるが、料金所が営業している様子はない。
その代わり道路を少し進んだところに、ほったて小屋のようなプレハブがある。そこで料金を支払うようだ。
いくら払ったかは覚えていない。たしか200円〜400円ぐらいだった。
この辺りは南国の雰囲気にあふれ、南の国特有の木が生えていたり、標高の低い山々が連ねるなど南国ムード満天だ。
急で険しい登り道を行くと観光客用駐車場に着く。そこからは徒歩で行くようだ。
まずは涼しい風が吹くトンネルに入る。短いトンネルだ。実際は写真より明るい。
トンネルを抜けるとそこはまさにジャングル。南国の木々であふれた南の島のジャングルだ。
その中に純和風の神社がある。非常にミスマッチな光景でおもしろい。御崎神社という神社。鮮血のように紅い鳥居が印象的。
神社を抜けると遺跡のような場所に出る。ここはかつてレストランだった遺構。海の爽快さとは裏腹に不気味で神秘的な雰囲気に包まれている。
そこからさらに登るとだんだん最南端の佐多岬の姿が見えてくる。そして最南端を示す案内板。
そこから既に岬は見える。だが、さらに上には展望台がある。上から眺めてみる事に。
5月2日14時39分33秒日本最南端到着。出発してから27時間54分で日本最南端に到着した。
ここまでの走行数は154,205km。単純計算で1,233kmを走行した事になり、時間辺り44km走行したことになる。(散策の時間全て含めて)
ここからは第二の目的地、桜島を目指す。しかし徐々に雲行きが怪しくなってきた。
途中道草をしながら269号線を進む。途中のノスタルジーな場所で撮影。菅原神社というらしい。学問の神様だろうか。
進むこと1時間程度、桜島がうっすら見えてきた。海上には多くの漁船が浮かんでいる。
桜島は想像以上に大きい。島かと思ったら、陸続きの半島らしい。低く幅のある特徴ある火山だ。桜島を走るとあたりに火山岩が散らばっている。荒々しい鬼の棲む剣山のような感じの山。
過去の噴火で埋もれた鳥居もある。3mもの火山灰が積もったのだそう。
桜島にある火山岩に囲まれた茶色いファミリーマート。異空間です。
そんなわけで、“とりあえず”目的を達成したので、はるばる来た道を引き返すことに。まだ見たいところ、行きたいところはかなりあるけど、予定までに帰れなくなるので、急いで帰る事にした。
5月2日19時9分57秒発。そこから休憩や食事を挟みながら一路北東へ。途中名神高速長岡付近から小牧JCまでひどい渋滞にあう。長岡から小牧までで4時間もかかってしまった。結局、帰れたのは翌3日の19時17分28秒。ほぼ24時間かけて帰ってきたのだ。全身に強烈な疲労を覚えたのだが、疲れすぎてむしろ元気になっていた。せわしなくトンボ帰りをした感じだったけど、地図の見方だとか、日本の面積についての見方が変わった。実際に走ってみることで直接日本の大きさ、長さを感じることができたようだった。
ちなみに蒲郡→南九州まで1,000円でいけると思いきや、なにかで加算されて2,100円になっていた。帰りの南九州→長野県(実家)も2,100円也。
総走行距離155,549km タイミングベルトの寿命を超えている。。。この3日の走行距離は2,577kmにまでのぼっていた。帰宅後、数時間は運転しすぎたためかず〜と車に乗ってるような感覚に襲われていた。当分ロングドライブは控える。ちなみにガソリン代は33,358円。
お金と時間をかなり贅沢に使ったけど、得るものが多く、金額以上のことを得た気がする。具体的にこれというのは無いけど、何となく+になった気がする。
“とりあえず”も“計画的無計画”も悪くない。
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